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2015.01.26

grow

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2015.01.17

Missing

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あるべきところにない。

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2015.01.14

Roots

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写真に限らず、絵でもそうだし、建築や多くの造形物でもそうだが、
人が生み出す何かしらの“もの”というのは、根底的にそれを作り出した人の深層にあるイメージやボキャブラリーに依存する。幼いころに見た、光や色、色合い、形、空間の広さや、手で触れたときの質感。
風の感覚や湿度。かすかなにおいと、温度。
言語以前の遠い感覚に鋭いひとというのは、必然的にアーティスティックだ。
ノスタルジーとは思い起こされるものだから。
土建屋の家系に生まれた私は、よく幼いころ、祖父母にくっついて資材置き場を探検をして遊んでまわっていた。
洗練された美しいものとは縁もなく、土臭く泥まみれになって遊んでいた。
少し錆びた金属と、コンクリートにまみれた工具。合間に茂る草花。切り出されたばかりの木材。
ゆらゆらと揺れる足場。重機の油とエンジンから湧き上がる煙の匂い。
泥と汗と、タバコのにおいの混じった、ガタガタと揺れて走る狭いトラック。
自分の身体では到底理解のできない広さを持った巨大なダムの工事現場。どこまでも続く高速道路。
父、祖父母のガサガサな手。 母がこもる事務室のインクの臭い。
よれよれのTシャツを着た、冴えない幼児だった。
スタジオでの撮影に、金属物のモチーフを要求されて、実家の工具箱からレンチを手に取って思い出した。
そう、こんな重たい鉄くずまみれの幼少だったなと。
何が撮りたいか、なんててんでわからないけれど、
何を撮っているかくらいならなんとなくわかるんじゃないかって。
古い記憶の掘り起し。ちいさいころの微かな願望をすくいあげる。
母に愛されたかったとか、父や祖父に認められたかったとか、そんな願いから私は始まっている。

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