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2015.06.28

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2015.06.18

暮明

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今更だけれど、私には気分障害のようなものがある。
多分、察しのいい読者さんならもうすでに気付いているようなことだとおもう。
上がったり下がったりの極端で不安定な自己イメージ。
それが生育環境からくるものなのか、思想によるものなのか、器質的なものなのか、
単に思春期・青年期のクライシスによるものなのか、私にははっきりとわからないけれども、
私にとっては、生きてることも不思議だし、
少なからず社会に出て働いているということも不思議なのかもしれない。
学校をこのほんの3月まで、毎日毎週、登校拒否もしないで、よく通ってたもんだ。
躁鬱的な感覚は、写真に撮ることによって身体的、視覚的なものとなって表れていると思う。
グッと心に迫ってくる闇も、キラキラと輝いている自分も、めらめらと燃え上がるような怒りも、静かにたたずむ寂しげな眼差しも、やわらかく薫って風にそよぐ髪も、
私の中に潜むは私は、生と死の合間を行ったり来たりしながらそのありどころを探している。
私は、あといくつまで生きれるかい? 好きなひとは見つかるかな。
好きになってくれる人は見つかるだろうか。
暗い部屋で、ゴミに埋もれるような感覚はいつも背中の後ろに張り付いてる。
壊れ物の、過敏で神経質な弱い私。 どこをどうすれば、強く生きられるのだろう。
短大を出てからは3年目になる。
アルバイトをいくらか変えて、学ぶ場所を少しずつ確保しながら、学びからは離れて、
付き合う相手もちょっとずつかわってきた。
学生時代には絶対出会うことのなかったであろう友達がいくらかできて、
学生時代からも変わらず自分のそばにいてくれる友達もはっきりとわかるようになってきた。
それでも私は臆病者だ。
短大で共に迷った友達は、この頃 赤ちゃんを産んだ。
私の迷い道は、正しいだろうか。

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2015.06.17

写真は私の心を知る一番の友である

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私の心は、とても弱い。
近づいたり、離れたりをしながら、やっぱり他人の心がとても怖い。
作家のように振る舞いながら、誰からの称賛も批判も受けることができないで、ひとりきり閉じこもる私に、
写真とカメラはただただ私の心をずっと見つめてくれるようにしてそばにいる。
幾日も埃を被せたり、云千枚と見返したりもせずに溜まっていることもある。
それでも彼女らは、怒りもせず捻くれもせず、ただ暖かく労わってくれる。
イエスともノーともない、ただ漫然たる事実をそこに写してくれるのだ。
ああ、さみしいよ。さみしいんだ。心が壊れそうだ。

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